儋州市中和鎮 東坡村

       

 甘藷畑に囲まれた東坡村を、日本軍は、爆撃して破壊し、そのあと、生き残った村びとに、製糖工場をつくらせ、工場で働かせた。



劉仁之さん(1918年生)
「あの時のことを話すと泣きたくなる。
父とおじが殺された。父は首を切られて殺された。51歳だった。
1938年旧暦10月だった。
飛行機がたくさん来て爆撃した。村は全部こわされた。たくさん殺された。
今でも日本人ということばを聞くと、怒りが沸く」。

呉本霑さん(1914年生)
呉本霑さん
 「日本軍が来たので逃げた。夫が日本軍に殺された。山の方へ逃げるところを殺された。
 わたしは別のところへ逃げたので夫が殺されるところは見ていない。
 日本人には今も怒りを持っている」。
     
   

儋州市長坡鎮 呉村

       

1943年8月18日、日本海軍舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊の日本兵が、呉村を襲い、おおくの村人を殺した。

 

卓新さん(1914年生)
「日本軍が来て、母は火で焼き殺された。弟2人も殺された。この村には、共産党に入る人がいるといって、日本軍は住民を殺した。  共産党の人がときどき村に来ていた。歌を教えたり、知識を与えたりしていた。村の若者のなかには、共産党に入った人もいた」。
高兆顯さん(1926年生)
「夜明けに、日本軍が来た。私は寝ていたが、怖くて逃げた。父、母、おじ、妹1人、3人の兄弟は外に逃げたが、殺された。  日本軍が来る前、共産党員が20人ぐらい村に来た。このあたりは共産党の根拠地だった。スパイは村に共産党がいるか探り、日本軍に教えていた」。
 

住民虐殺現場
犠牲者の墓
 
墓碑に「1943年8月18日“呉村惨案”」、
 「中国共産党江川支部指導下堅持抗日救国」と刻まれれている。
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